書評 柴田 友子

恋愛小説か、007ばりのアクションかと思わせる表題だが、実は、ガイド・通訳者向けのすぐれた実用書なのである。名門バウマン・モスクワ工科大学卒業の理系出身でありながら、日本語ガイド・通訳として長年たくわえた経験を著者は惜しみなく同僚・後輩のためにさしだしている。

日本人旅行者の質問にどう答えるか、どんな質問が多いのか、クライアントに満足してもらえる仕事をするには、ガイド・通訳はどんな知識をもっていなくてはならないかという視点から、第一章では、日露関係の動向やロシア経済の現状にふれ、この中で、おそらく多くの日本人クライアントが話題にするような、すなわち、私たちが明日商談通訳や表敬や昼食会など通訳の現場にでたら即ぶつかってしまうようなテーマをていねいにカバーしている。文学・演劇・映画の分野で話題になった作家や演出家、監督の紹介、チャイコフスキーコンクール入賞者リストなどのほか、地震の話題もある。「大きな地震などがあった直後の商談などは、地震の被害へのお悔やみのことばで始まることが多い」からで、まさに著者の経験にもとづいた構成となっているのである。

モスクワ川にそそりたつピョートル一世の像をはじめ、私たちもあちこちでその精力的芸術活動の賜物を目にするツェリテリの作品や日本との関係にも数ページがさかれている。第二章では、人気スポットの「クレムリン」「アルマズヌイ・フォンド」について、詳しい説明のフルテキストが和露ともに提供され、章末には単語リストもついている。

第三章は、ロシア正教を日本人にどう伝えたらいいか、という観点からまとめられている。「難しい宗教用語の羅列にならず、わかりやすく伝えられるように」というアプローチは、外国人に仏教や神教の説明をする日本のガイドも常に気をつけている点で、その苦労は共通だと思う。100ページ以上にわたるこの章は、ロシア正教の歴史にはじまり、「新米ガイドのカンニングペーパー用」にイコンについての参考書を簡単にまとめたもの、「どんな美術館でも必ずでてくる」典型的なイコンの形態の説明、そして、日本で

活動する正教会の関係者のチェックを受けたという充実した単語リストが付されている。

第四章は、「外国人がよく聞く質問」。ロシアの社会、一般の人の生活や犯罪などについて、統計資料などを交えて説明、そのような話題に必要な単語リストがついている。

第五章は、有名なバレエとオペラのあらすじと、その説明に必要な単語。ロシアにいく日本人ツアーの添乗員さんにも必携かもしれない。最後の章は、日本人旅行者の好きな歌をロシア語と日本語で。楽譜付き。

この本は、実際的な資料集である。「これを読んでいくといいよ」と先輩通訳が仕事にでかける後輩に教えるような感覚でまとめられたものである。自分の仕事に役に立った新聞記事の切り抜きやコピーを同僚とやりとりするようなものである。自分が書いたものと、集めた資料(他人に属するもの)が混在するのは厳密にいえばやや気になるが、著者自身が前書きの中で書いているように、ガイド・通訳の「仕事用のノート」として使える参考書として、コンパクトでありながら充実したものになっていると思う。

単語リストについては、日本語を原文からひろったものと便宜的につけた「ロシア語からの翻訳」が混在している。つまり「正しい翻訳かもしれないけれどあまりそんな言い方はしないだろう」と思うものもある。私たち日本人通訳者がロシア語を話すときも常にその問題にぶつかっている。それでも、この資料は、日本の同僚たちにとっても大変貴重なものだと思う。日露観光交流3倍増計画(3年間で3倍に)というプランが今年から実施されるそうだが、これらの交流促進を担うガイド・通訳の健闘も期待される今、ひとりひとりが自分なりの使い方で柔軟にこの貴重な資料を使わせてもらい、力を伸ばしていくことが、著者の気持に答えることになるのではないかと思う